もっPです
先日
お母ちゃんの6○回目のお誕生日
ということで
私とADくん、そしてお母ちゃんの三人で
少し高級な回転寿司に行ってきました!!

お寿司も美味しかったのですが
最後に食べたソフトクリームが絶品!
カロリーオーバーを二人して気にしながらも
大満足でした!!
ゆるゆる動画をアップしました!
もっPでした
「大家族 石田さんチ」の取材を1997年から現在に至るまで続けているプロデューサー(もっP)によるブログです。放送に関する最新情報や「石田さんチの秘密」「ココだけの話」を石田さんチのファンの皆さまにコッソリお伝えします!!

もっPです
お母ちゃんに初対面したあと
いきなり
(母)「取材はしてもいいけど、
取材のためには動かないわよ!!
例えば
『食事のシーンを撮影したいから
家族全員で食卓を囲んでください』
なんて言うディレクターが
過去に居たけど
家族が十人以上も居るのに
全員一緒に食べれるわけ
ないでしょ!!
それぞれ生活のリズムも違うし
逆に全員揃われちゃうと
場所も無いし食事の支度も大変でしょ!!
ウチでは食べたいときに食べる。
そういうところを
ちゃんと理解して取材して頂戴!!」
正直、驚きました…
実は、石田さんチは
これまで雑誌やテレビ番組に
何度も取材をされていました。
相当なストレスが溜まっている事を
理解すると同時に
これからの取材を
どうやって行っていくべきか?
悩みました・・・
さらにこの後
お母ちゃんから衝撃的な言葉が…
(母)「これだけは約束して頂戴!!
放送した後
二度とココに来れないような
取材だけはしないでよ。
あと、子育ても一緒に
やってもらいますから!!」
この一言で
私の心は決まりました。
“取材する側が取材される側に
どこまで係わっていいのか?”
という事で悩むより
“取材する側の悩みも含めて
取材していこう”と。
あのお母ちゃんの最後の一言が
あったからこそ
20年以上も取材を続けることが
出来た気がします。
私事ですが
石田さんチの取材を開始した翌年
1998年に私は結婚し
現在は二児の父です。
夫婦間の問題や
親戚付き合い難しさ
子育ての悩みなど
お母ちゃんに
相談する事もありました。
男として
夫として
父親として
私の言動や態度に対して
お母ちゃんから怒られた事も
たくさんあります。
また
子育ての考え方の違いから
石田さんチに出入り禁止を
宣告された事もあります。
でも、その一つ一つの経験が
今の私の宝物です。
その宝物を少しでも多くの人に
知ってもらいたいと願い
このブログやYouTubeを立ち上げました。
これからも宜しくお願いします!!
もっPでした
もっPです
1997年、夏…
石田さんチに初めて訪問した日
あいさつもそこそこに
とにかくリビングに通され
(母)「どうぞ、お座りください」と
言われたものの
洗濯物やらオモチャやらが
散乱している状態。
どうにか座る場所を確保し…
と、言うとお母ちゃんに
怒られそうですが(苦笑)
いざ取材交渉に入ろうとすると
お母ちゃんから立て続けに
(母)「取材はしてもいいけど、
取材のためには動かないわよ!!
例えば、
『食事のシーンを撮影したいから
家族全員で食卓を囲んでください』
なんて言うディレクターが
過去にいたけど
家族が十人以上も居るのに
全員一緒に食べられる
わけないでしょ!!
それぞれ生活のリズムも違うし
逆に全員揃われちゃうと
場所も無いし
食事の支度も大変でしょ!!
ウチでは食べたいときに食べる。
そこのところを
ちゃんと理解して取材して頂戴!!」
と、いきなりのお母ちゃんの言葉に
私は面食らい
ただただうなずくばかりでした。
そして、この後さらに
これまでのディレクター人生を
覆すほどの衝撃を
受けることになるのです。
(つづく)
もっPでした
もっPです!!
今回から数回にわたり
私、もっPが
「大家族 石田さんチ」と
どのようにして
めぐりあったのか?など
取材㊙︎ウラ話をお話します。
あれは1997年の初夏…
私はディレクターとして
日本テレビの新番組(特別番組)
「ニッポンのお母ちゃん」という
“母の愛”をテーマにした
ドキュメント番組のリサーチ中でした。
1997年と言えば
神戸連続児童殺傷事件が発生し
山一證券が破産
またダイアナ元英皇太子妃が事故死と
あまり明るい話題が
少ない時代だったように
記憶しています。
当時
日本テレビでは
10年近く続いている
大家族番組
(石田さんチとは別の大家族)が
最終回を迎えようと
している頃でした。
そんな時
「ニッポンのお母ちゃん」という
新番組の中に
是非とも新たな大家族を入れたい
という日本テレビのプロデューサーの
意向もあり
新聞や雑誌などはもちろん
専門のリチーチ会社に
依頼し日本国中の大家族を
探していました。
そんな中
石田さんチの存在を知ったのは
“女性自身”という
雑誌の特集記事でした。
なんとか石田さんチの
電話番号をゲットし
石田さんチに電話をかけました。
すると電話に出たお母ちゃん(千惠子さん) は
私から番組内容など
詳しい事は一切聞かず
「はいはい
いつでもどうぞ来て頂戴。
ウチはオープンだから!
ワッハッハッ!!」
と言っただけで
すぐに電話は切られました。
まさか
その電話から20年以上も
取材でお世話になるなんて
その時は想像も出来ませんでした。
(つづく)
もっPでした