ゆるゆる石田さんチ日記

「大家族 石田さんチ」の取材を20年以上に渡り続けているプロデューサー(もっP)によるブログです。放送に関する最新情報や「石田さんチの秘密」「ココだけの話」を石田さんチのファンの皆さまにコッソリお伝えします!!

カテゴリ: ココだけの話

もっPです


いつも大家族石田さんチに

温かいご声援を頂き

ありがとうございます!!


先日、以下のようなメールをもらったので

お答えしようと思います!!


「いつも取材をなさっている、

 もっPさん・今井さんにお聞きしたいのですが

 21年間の取材の中で、

 一番心に残っている

 お母さんの行動または言葉は何ですか?」




印象に残っている言葉は

やはり[石田家の家訓]


取材を開始して確か4年目の正月

元旦の石田家の新年会取材をしている時

お父ちゃんの挨拶に続き

お母ちゃんから発せられたのが

石田家の家訓でした


石田家の家訓

1、親より先に死なない

2、親兄弟に迷惑をかけない

3、他人のために生きないで自分のために生きる




実は、この年の前年

トラブルを起こした子どもたちや

喘息などで入院する子どもが続発し

辛く大変な子育ての日々を

お母ちゃんは送っていました



なので、新たな年を迎え

「今年こそは、良い一年でありますように!」と

お母ちゃんは子どもたちに

石田家の家訓として


メッセージを伝えたのだと思います。



もちろん

この時に初めて家訓を

発表したものですから


子どもたちはキョトン!

お父ちゃんも

「オレ初めて聞いたよ」と


驚きの表情でした(笑)




お母ちゃんの行動で驚いたのは・・・

2002年にお母ちゃんが

大腸ガンと診断された後の

お母ちゃんの行動です



診断された当日の夜には

手術日はもちろん

それまでの

あらゆる事を想定して


各所への連絡や問題点を次々に

クリアにして行きました



「悲しんだりする時間はない

 なっちゃったものは仕方ない

 全てを受け入れて

 周りに迷惑をかける前にすぐ行動」



と言いながら

それまで以上に忙しく

行動していました



なんて強い人なんだ、と

びっくりした事を


今でも覚えています


ですが

手術の前日に

入院しているお母ちゃんの病室を訪ねた時


お父ちゃんが

お守りがわりに買ってきた

ガラスの猫の置物を嬉しそうに

僕に見せてくれました


不安なお母ちゃんの心を

少しでも
和ませるように、と

お父ちゃんの優しさでした



私も

こんな素敵な夫婦関係を

築きたいと思いました!



もっPでした







もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと
 

お母ちゃんに大腸ガンが発覚した夜
 

お父ちゃんから我々取材陣に
 

「これからも取材するの?

出来れば撮影はやめてほしいんだけど
 

それは石田さんチの取材を開始して
 

初めて取材を拒否された瞬間でした。

 

動揺するお父ちゃんと冷静なお母ちゃん
 

そして混乱する取材陣
 

しかし

お父ちゃんから取材をやめてくれ、

と言われたにもかかわらず
 

私はお父ちゃんに対して以下の様なことを

言ったと記憶しています。

(正確ではないかもしれませんが…)
 

「必ず手術は成功すると信じています。
 

だから、お父さんが取材を拒否しても
 

今しか取材できないことなので
 

お母さんの撮影だけは続けさせてください」

と、お父ちゃんに言いました。

 

恐ろしく取材陣(私)の勝手な考え方で
 

筋の通らない事を言ったように思います。
 

お父ちゃんはしばらく考えた後

じゃぁ、任せます。ただ
 

しばらく、お父ちゃんは考え…そして

「今度、撮影をやめて欲しい、と言った時は
 

本当に撮影を中止にしてくださいね」

と言うと家に入っていきました。


 

そして石田さんチにとっても

私たちにとっても

「長い長い1日」が終わりました。
 
 

「今度やめて欲しい」とお父ちゃんから言われる時は
 

どんな時なんだろうか?

お父ちゃんからの一言が心に残ったままでした。

 

石田さんチでは

親子ゲンカだろうが、兄弟ゲンカだろうが

夫婦ゲンカだろうが、何でも自然体で取材させて頂きした。
 

後にも先にも取材を拒否されたのはこの時だけ。
 

今考えると、お父ちゃんは
 

 “なんてデリカシーのない取材スタッフだ”と
 

思っていたのかもしれません。

お父ちゃんは、取材拒否することによって

お母ちゃんを守ろうとしていたのだと思います。

“辛い時にカメラを向けらる辛さ ”を


一番理解しているのは、お父ちゃんとお母ちゃんです。




その後の事は

放送した通り家族が一丸となり
 

お母ちゃんの居ない石田家を守りました。
 

そして、手術は成功し

現在に至るまでガンの再発もありません。
 

この日の出来事から16年以上経ちますが

今でも鮮明に覚えています。

 

お母ちゃんが大好きだという言葉
 

それは明石家さんまさんの「生きてるだけで丸儲け!」


(エピローグ)
お母ちゃんは退院後間もなく

運命的な出会いをします。

それは石田さんチのアイドル犬

アリーです。

しかし!!

最新版に続く・・・・・



(終わり)


もっPでした 





もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと

お母ちゃんの病名は

大腸ガンでした。
 

お母ちゃんは、お父ちゃんに

携帯メールで診断結果を知らせました。
 

そして、お父ちゃんは出張から

帰ってくるなり怒鳴り声で
 

「庭イジリばっかりしているから、

枝がケツに刺さって“痔”になるんだよ!!


お母ちゃんも我々も、そして子供達も

お父ちゃんが何を言っているのか

理解できませんでした。
 

たまらずお母ちゃんは
 

「何を言っているの誰が“痔”なの?

“癌”でしょ“ガン”!!
 

お父ちゃんは我に帰り、唖然
 
しばらくして

お父ちゃんとお母ちゃんのやりとり…

 

お父ちゃん「??? “癌”? 誰が?

お母ちゃん「私でしょ!!
 

お父ちゃん「メールで“痔”って書いてたじゃん!!
 

お母ちゃんは、お父ちゃんから携帯を取り上げ
 

お母ちゃん「これのどこが“痔”なの!?

“癌”って書いてあるじゃない!!!!
 

そこでやっと理解できました。

お父ちゃんは“癌”という漢字を

“痔”と読み違えていたのです。
 

お父ちゃん「普通、“癌”という言葉は

カタカナで書くだろうが!!
 

と全員が大爆笑!!


お母ちゃんが大腸ガンと診断された日に

家族揃って大爆笑

しかし、みんなの笑顔が続くわけはなく

長い長い沈黙がやってきました。

お母ちゃんはすでに

何事も無かったかのように

夕食の準備に追われています。
 

しばらくすると、お父ちゃんは手術日に会社を
 

休めるよう仕事先に連絡を入れ始めていました。
 

電話連絡が終わると
 

お父ちゃんは深いため息をつき晩酌を始めました。
 

そして…



「なんで、なんで今なの。

なんでウチの女房なんだよ

独り言の様に呟きます
 




午後10

私たち取材陣はこの日の取材を終え
 

撮影クルーは撤収に取り掛かりました。
 

最後に、私が「明日も取材に来ますので…」と伝え
 

あいさつをして玄関を出た直後
 

お父ちゃんから呼び止められました。
 

「澤本さん!!これからも取材するの? 
 

出来れば撮影はやめてほしいんだけど・・」
 

それは、石田さんチの取材を開始して
 

初めて取材を拒否された瞬間でした。
 

(つづく) 

 

もっPでした





 


もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと
 

お母ちゃん発した衝撃の一言・・・
 

「ガンだって・・・」

一瞬、私は何を言っているか理解できず
 

お母ちゃんに聞き返すこともできず

ただカメラマンが撮影している側で

立ち尽くしていました。
 

しかし、お母ちゃんは何事もなかったように
 

いつもと同じように家事をこなしていきます。
 

洗濯物を干し、汚れた食器を洗い

ゴミを仕分けしていきます。


 

診断は「初期の大腸ガン」

 

何も発することが出来なくなっていた私に

お母ちゃんは
 

「だから・・・どうしようもないでしょ。
 

なっちゃったんだから・・・
 

早く受け入れて、前に進んで行かないと!!
 

悪いところは早く手術して取り除くだけよ!!
 

さらに・・・
 

「それより、精密検査のためにこれから
 

下剤を飲まなきゃいけないのよ。

それが一番辛いわね」

と大声で笑うお母ちゃん。
 


 

しかし、そのタイミングで

不覚にも私の頬を涙がつたいました。

泣いてはいけないと強く感じていましたが

思えば思うほど、涙が止まりません。
 

そんな私を見て、お母ちゃんは続けます
 

「うれしいわ、私のために

泣いてくれる人が居るなんて!!
 

と、また笑い出しました。

そのあと、お母ちゃんは診断結果を
 

お父ちゃんにメールしました。


 

その夜

ただならぬ事態に
 

お父ちゃんは慌てて出張先から帰ってきました。
 

そして帰ってくるなり

またまた衝撃の一言…
 

「“庭いじり”ばっかりしているから
 

枝がケツに刺さって“痔”になるんだよ!!
 

と激怒!!

これにはお母ちゃんと我々取材陣も

さらに、その場にいた子供達も
 

「? ? ?? ? ! ! ! ! ! 」
 


“痔”って誰が・・・・!?
 

(つづく) 

もっPでした





 



もっPです


いつも「ゆるゆる日記」&「ゆるゆる動画」を

ご覧頂きありがとうございます!

私、もっPは石田さんチの取材を開始して

今年で22年目になります。

そんな長い取材期間の中で

不覚にも涙を流したことがあります。

今回は、そんな忘れることができない

ある“大騒動”を皆さんにお話ししようと思います。



あれは2002年、暑い熱い夏のこと 
 

石田さんチの夏休みと言えば
 

一家揃っての家族旅行が毎年の恒例となっていました。
 

この年はお父ちゃんの仕事や

子供達の学校の行事が忙しく
 

全員揃って休める日がなかなか取れませんでした。
 

長女は社会人となり、長男は大学生になっていました。
 

結局、泊まりの旅行は難しい、とのお母ちゃんの判断で
 

千葉県の海岸に日帰りで潮干狩りに行く事になりました。
 

潮干狩りの具体的なスケジュールを決めるため
 

私たちは、いつものように石田さんチを訪ねました。
 

石田さんチに到着したのは午前11時ごろだったと思います。

 

その日の前日、石田さんチに到着する大体の時間を

お母ちゃんに連絡を入れていました。

その際、お母ちゃんから

「午前中は病院で検査があるけど
 

11時には帰ってるから大丈夫よ」との事でした。
 

そして約束の午前11時に石田さんチに着きました・・・。
 
 

しかし、まだお母ちゃんは病院から

帰っていませんでした。
 

さほど気にすることも無く

家の前でカメラマンと

子供達のグローブでキャッチボールをして

お母ちゃんの帰りを待っていました。
 

このような事はよくありました。

急に用事が出来たり
 

コインランドリーに突然行く事もあったからです。
 

そんな時は大体30分もしない内に

帰ってくるのが普通でした。
 

しかし、この日は違いました。
 

30分経っても1時間経っても

お母ちゃんは帰って来ません。
 

そして、ちょうど2時間弱ほど経過した時
 

お母ちゃんの運転する車のエンジン音が

聞こえてきました。
 

ちょっと遠くまで買い物にでも

行っていたのかな、と
 

思いながらいつものようにカメラを構えました。
 

 

しかし

車から出てきたお母ちゃんから発せられた言葉
 

「再検査になっちゃった……ガンだって
 

一瞬、何を言っているのか

理解する事が出来ませんでした・・・。

(つづく)


もっPでした




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