もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと
 

お母ちゃんに大腸ガンが発覚した夜
 

お父ちゃんから我々取材陣に
 

「これからも取材するの?

出来れば撮影はやめてほしいんだけど
 

それは石田さんチの取材を開始して
 

初めて取材を拒否された瞬間でした。

 

動揺するお父ちゃんと冷静なお母ちゃん
 

そして混乱する取材陣
 

しかし

お父ちゃんから取材をやめてくれ、

と言われたにもかかわらず
 

私はお父ちゃんに対して以下の様なことを

言ったと記憶しています。

(正確ではないかもしれませんが…)
 

「必ず手術は成功すると信じています。
 

だから、お父さんが取材を拒否しても
 

今しか取材できないことなので
 

お母さんの撮影だけは続けさせてください」

と、お父ちゃんに言いました。

 

恐ろしく取材陣(私)の勝手な考え方で
 

筋の通らない事を言ったように思います。
 

お父ちゃんはしばらく考えた後

じゃぁ、任せます。ただ
 

しばらく、お父ちゃんは考え…そして

「今度、撮影をやめて欲しい、と言った時は
 

本当に撮影を中止にしてくださいね」

と言うと家に入っていきました。


 

そして石田さんチにとっても

私たちにとっても

「長い長い1日」が終わりました。
 
 

「今度やめて欲しい」とお父ちゃんから言われる時は
 

どんな時なんだろうか?

お父ちゃんからの一言が心に残ったままでした。

 

石田さんチでは

親子ゲンカだろうが、兄弟ゲンカだろうが

夫婦ゲンカだろうが、何でも自然体で取材させて頂きした。
 

後にも先にも取材を拒否されたのはこの時だけ。
 

今考えると、お父ちゃんは
 

 “なんてデリカシーのない取材スタッフだ”と
 

思っていたのかもしれません。

お父ちゃんは、取材拒否することによって

お母ちゃんを守ろうとしていたのだと思います。

“辛い時にカメラを向けらる辛さ ”を


一番理解しているのは、お父ちゃんとお母ちゃんです。




その後の事は

放送した通り家族が一丸となり
 

お母ちゃんの居ない石田家を守りました。
 

そして、手術は成功し

現在に至るまでガンの再発もありません。
 

この日の出来事から16年以上経ちますが

今でも鮮明に覚えています。

 

お母ちゃんが大好きだという言葉
 

それは明石家さんまさんの「生きてるだけで丸儲け!」


(エピローグ)
お母ちゃんは退院後間もなく

運命的な出会いをします。

それは石田さんチのアイドル犬

アリーです。

しかし!!

最新版に続く・・・・・



(終わり)


もっPでした