ゆるゆる石田さんチ日記

「大家族 石田さんチ」の取材を1997年から現在に至るまで続けているプロデューサー(もっP)によるブログです。放送に関する最新情報や「石田さんチの秘密」「ココだけの話」を石田さんチのファンの皆さまにコッソリお伝えします!!

2018年03月


もっPです



「ゆるゆる石田さんチ日記」&「ゆるゆる動画」を

ご覧の皆さま、いつも温かいご声援ありがとうございます。



「取材中の涙」という内容で4回に渡り更新して来ましたが


実は私、22年間に及ぶ取材期間の中で

あと2回だけ取材中に涙したことがあります・・・

それに関しては、次の機会にお話しすることにしますね。



さて、本日アップした動画は「取材ウラ話」です。


なぜ長期間に及ぶ取材が可能だったのか?

その一つの要因が明かされます!!


では、どうぞ!




もっPでした






 


もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと
 

お母ちゃんに大腸ガンが発覚した夜
 

お父ちゃんから我々取材陣に
 

「これからも取材するの?

出来れば撮影はやめてほしいんだけど
 

それは石田さんチの取材を開始して
 

初めて取材を拒否された瞬間でした。

 

動揺するお父ちゃんと冷静なお母ちゃん
 

そして混乱する取材陣
 

しかし

お父ちゃんから取材をやめてくれ、

と言われたにもかかわらず
 

私はお父ちゃんに対して以下の様なことを

言ったと記憶しています。

(正確ではないかもしれませんが…)
 

「必ず手術は成功すると信じています。
 

だから、お父さんが取材を拒否しても
 

今しか取材できないことなので
 

お母さんの撮影だけは続けさせてください」

と、お父ちゃんに言いました。

 

恐ろしく取材陣(私)の勝手な考え方で
 

筋の通らない事を言ったように思います。
 

お父ちゃんはしばらく考えた後

じゃぁ、任せます。ただ
 

しばらく、お父ちゃんは考え…そして

「今度、撮影をやめて欲しい、と言った時は
 

本当に撮影を中止にしてくださいね」

と言うと家に入っていきました。


 

そして石田さんチにとっても

私たちにとっても

「長い長い1日」が終わりました。
 
 

「今度やめて欲しい」とお父ちゃんから言われる時は
 

どんな時なんだろうか?

お父ちゃんからの一言が心に残ったままでした。

 

石田さんチでは

親子ゲンカだろうが、兄弟ゲンカだろうが

夫婦ゲンカだろうが、何でも自然体で取材させて頂きした。
 

後にも先にも取材を拒否されたのはこの時だけ。
 

今考えると、お父ちゃんは
 

 “なんてデリカシーのない取材スタッフだ”と
 

思っていたのかもしれません。

お父ちゃんは、取材拒否することによって

お母ちゃんを守ろうとしていたのだと思います。

“辛い時にカメラを向けらる辛さ ”を


一番理解しているのは、お父ちゃんとお母ちゃんです。




その後の事は

放送した通り家族が一丸となり
 

お母ちゃんの居ない石田家を守りました。
 

そして、手術は成功し

現在に至るまでガンの再発もありません。
 

この日の出来事から16年以上経ちますが

今でも鮮明に覚えています。

 

お母ちゃんが大好きだという言葉
 

それは明石家さんまさんの「生きてるだけで丸儲け!」


(エピローグ)
お母ちゃんは退院後間もなく

運命的な出会いをします。

それは石田さんチのアイドル犬

アリーです。

しかし!!

最新版に続く・・・・・



(終わり)


もっPでした 





もっPです



少し前にツイッターで

こんな質問を頂きました。


「もっPさん、最近お母ちゃんがネイルをしたり

綺麗になられていると感じませんか? 

その理由を聞いて頂けないでしょうか?」



はい! 最近だけではなく

ずーっと、お綺麗です!!(きっぱり!!!!)



念のため

その理由を聞いてみました。

では、どうぞ!!





もっPでした





もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと

お母ちゃんの病名は

大腸ガンでした。
 

お母ちゃんは、お父ちゃんに

携帯メールで診断結果を知らせました。
 

そして、お父ちゃんは出張から

帰ってくるなり怒鳴り声で
 

「庭イジリばっかりしているから、

枝がケツに刺さって“痔”になるんだよ!!


お母ちゃんも我々も、そして子供達も

お父ちゃんが何を言っているのか

理解できませんでした。
 

たまらずお母ちゃんは
 

「何を言っているの誰が“痔”なの?

“癌”でしょ“ガン”!!
 

お父ちゃんは我に帰り、唖然
 
しばらくして

お父ちゃんとお母ちゃんのやりとり…

 

お父ちゃん「??? “癌”? 誰が?

お母ちゃん「私でしょ!!
 

お父ちゃん「メールで“痔”って書いてたじゃん!!
 

お母ちゃんは、お父ちゃんから携帯を取り上げ
 

お母ちゃん「これのどこが“痔”なの!?

“癌”って書いてあるじゃない!!!!
 

そこでやっと理解できました。

お父ちゃんは“癌”という漢字を

“痔”と読み違えていたのです。
 

お父ちゃん「普通、“癌”という言葉は

カタカナで書くだろうが!!
 

と全員が大爆笑!!


お母ちゃんが大腸ガンと診断された日に

家族揃って大爆笑

しかし、みんなの笑顔が続くわけはなく

長い長い沈黙がやってきました。

お母ちゃんはすでに

何事も無かったかのように

夕食の準備に追われています。
 

しばらくすると、お父ちゃんは手術日に会社を
 

休めるよう仕事先に連絡を入れ始めていました。
 

電話連絡が終わると
 

お父ちゃんは深いため息をつき晩酌を始めました。
 

そして…



「なんで、なんで今なの。

なんでウチの女房なんだよ

独り言の様に呟きます
 




午後10

私たち取材陣はこの日の取材を終え
 

撮影クルーは撤収に取り掛かりました。
 

最後に、私が「明日も取材に来ますので…」と伝え
 

あいさつをして玄関を出た直後
 

お父ちゃんから呼び止められました。
 

「澤本さん!!これからも取材するの? 
 

出来れば撮影はやめてほしいんだけど・・」
 

それは、石田さんチの取材を開始して
 

初めて取材を拒否された瞬間でした。
 

(つづく) 

 

もっPでした





 


もっPです


(前回の続きです)

あれは2002年、真夏のこと
 

お母ちゃん発した衝撃の一言・・・
 

「ガンだって・・・」

一瞬、私は何を言っているか理解できず
 

お母ちゃんに聞き返すこともできず

ただカメラマンが撮影している側で

立ち尽くしていました。
 

しかし、お母ちゃんは何事もなかったように
 

いつもと同じように家事をこなしていきます。
 

洗濯物を干し、汚れた食器を洗い

ゴミを仕分けしていきます。


 

診断は「初期の大腸ガン」

 

何も発することが出来なくなっていた私に

お母ちゃんは
 

「だから・・・どうしようもないでしょ。
 

なっちゃったんだから・・・
 

早く受け入れて、前に進んで行かないと!!
 

悪いところは早く手術して取り除くだけよ!!
 

さらに・・・
 

「それより、精密検査のためにこれから
 

下剤を飲まなきゃいけないのよ。

それが一番辛いわね」

と大声で笑うお母ちゃん。
 


 

しかし、そのタイミングで

不覚にも私の頬を涙がつたいました。

泣いてはいけないと強く感じていましたが

思えば思うほど、涙が止まりません。
 

そんな私を見て、お母ちゃんは続けます
 

「うれしいわ、私のために

泣いてくれる人が居るなんて!!
 

と、また笑い出しました。

そのあと、お母ちゃんは診断結果を
 

お父ちゃんにメールしました。


 

その夜

ただならぬ事態に
 

お父ちゃんは慌てて出張先から帰ってきました。
 

そして帰ってくるなり

またまた衝撃の一言…
 

「“庭いじり”ばっかりしているから
 

枝がケツに刺さって“痔”になるんだよ!!
 

と激怒!!

これにはお母ちゃんと我々取材陣も

さらに、その場にいた子供達も
 

「? ? ?? ? ! ! ! ! ! 」
 


“痔”って誰が・・・・!?
 

(つづく) 

もっPでした





 


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