ゆるゆる石田さんチ日記

「大家族 石田さんチ」の取材を20年以上に渡り続けているプロデューサー(もっP)によるブログです。放送に関する最新情報や「石田さんチの秘密」「ココだけの話」を石田さんチのファンの皆さまにコッソリお伝えします!!


もっPです  

 

1997年、夏…

石田さんチに初めて訪問した日

あいさつもそこそこに

とにかくリビングに通され

(母)「どうぞ、お座りください」と

言われたものの

洗濯物やらオモチャやらが

散乱している状態。


どうにか座る場所を確保し…

と、言うとお母ちゃんに

怒られそうですが(苦笑)

いざ取材交渉に入ろうとすると

お母ちゃんから立て続けに

(母)「取材はしてもいいけど、

 取材のためには動かないわよ!!

 例えば、

 『食事のシーンを撮影したいから
 
  家族全員で食卓を囲んでください』

 なんて言うディレクターが

 過去にいたけど

 家族が十人以上も居るのに

 全員一緒に食べられる

 わけないでしょ!!

 それぞれ生活のリズムも違うし

 逆に全員揃われちゃうと

 場所も無いし

 食事の支度も大変でしょ!!

 ウチでは食べたいときに食べる。

 そこのところを

 ちゃんと理解して取材して頂戴!!

と、いきなりのお母ちゃんの言葉に

私は面食らい

ただただうなずくばかりでした。

そして、この後さらに

これまでのディレクター人生を

覆すほどの衝撃を

受けることになるのです。

(つづく)

もっPでした 


 



もっPです!!


1997年

初めて石田さんチとお会いした時の

エピソードをまとめてみました。

前回からの続きです。



初めて石田さんチに電話をした数日後

私とプロデューサーの二人は

(当時、私は中堅の若手ディレクターでした)

石田さんチと取材交渉をするため

最寄り駅まで行きました。

土地勘の無い私たちは

石田さんチまでタクシーで行くことに。

運転手さんに

お母ちゃんから教えてもらった

住所を伝えるとイマイチ反応が悪く

首を傾げ目的地が分からない様子。


そこで

「子沢山の石田さんという

 お宅なんですが・・・」

と付け加えると

「あー、わかりました、

 わかりました。

 ここら辺りで子沢山と言ったら

 あそこですね」と…

さっきまでの困った表情とは一変

タクシーは目的地に向かい

走り出しました。

「こんなにも有名なら

 早く言えば良かった」

と思うと同時に

「地元でもかなり有名なんだ」と

期待度は急上昇していました。


そして

初めて石田さんチにお邪魔する事に!!

奥まった路地を覗くと

突き当たりの左手、純白の外壁が

私には光り輝いて見えました!

(私)「ごめん下さーい」

(石)「・・・・」

(私)「すみませーん

    番組制作会社の澤本です!!

(石)「・・・」

どうしたものかと途方にくれていると…


ガチャ!

(母)「洗濯物干してたのよ!」

初対面なのにいきなり日常会話から入る

お母ちゃんのスタイルは今も変わりません

(母)「どうぞ入ってください、
   靴の脱ぎ場もないほどですが」と

お母ちゃんが登場!!

ちなみに実際は靴の脱ぎ場も

足の踏み場もありませんでした(笑)


左腕に末っ子を抱え

右手には洗濯カゴを持ち

カッポウギ姿の

まさに肝っ玉お母ちゃん

という印象でした。


そして

お母ちゃんの衝撃的な一言に

私たちは驚かされました

(つづく)




もっPでした


もっPです!!
 
 

今回から数回にわたり
 

私、もっP

「大家族 石田さんチ」と
 

どのようにして
 

めぐりあったのか?など
 

取材㊙︎ウラ話をお話します。


 

あれは1997年の初夏

私はディレクターとして
 

日本テレビの新番組(特別番組)

「ニッポンのお母ちゃん」という
 

“母の愛”をテーマにした

ドキュメント番組のリサーチ中でした。


1997
年と言えば
 

神戸連続児童殺傷事件が発生し

山一證券が破産
 

またダイアナ元英皇太子妃が事故死と
 

あまり明るい話題が
 

少ない時代だったように

記憶しています。

 

当時
 

日本テレビでは
 

10年近く続いている

大家族番組
 

(石田さんチとは別の大家族)が

最終回を迎えようと
 

している頃でした。

 

そんな時

「ニッポンのお母ちゃん」という
 

新番組の中に

是非とも新たな大家族を入れたい
 

という日本テレビのプロデューサーの

意向もあり
 

新聞や雑誌などはもちろん

専門のリチーチ会社に
 

依頼し日本国中の大家族を

探していました。


そんな中
 

石田さんチの存在を知ったのは
 

“女性自身”という

雑誌の特集記事でした。


なんとか石田さんチの
 

電話番号をゲットし
 

石田さんチに電話をかけました。


すると電話に出たお母ちゃん(千惠子さん) は

 

私から番組内容など

詳しい事は一切聞かず

「はいはい
 

いつでもどうぞ来て頂戴。
 

ウチはオープンだから!

ワッハッハッ!!」
 

と言っただけで

すぐに電話は切られました。


まさか
 

その電話から20年以上も

取材でお世話になるなんて

その時は想像も出来ませんでした。

(つづく)




もっPでした



 

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